西敬寺の歴史

西敬寺開基(寺院創設者)西敬坊道栄は、親鸞聖人二十四輩の第七番の足立山長命寺開基西念房道祐の孫(長命寺第二世浄空の三男)です。
西敬寺の歴史は本家筋となる長命寺と常に共にありました。

承元 元/1207
親鸞聖人越後へ配流。
井上次郎道祐、越後国府にて聖人と出会い、法名「西念」と「九字名号」を賜る。以後、拠点としていた信濃の駒沢(現:長野市上駒沢)に戻り、「十里余」の道をいとわず、度々越後に聖人のもとをお訪ねし、ご給仕申し上げる。

越後において、親鸞聖人より賜った「九字名号」(長命寺蔵)
建保 2/1214
親鸞聖人、越後を発って関東へ。
西念も信濃からお供をし、以後20年に渡り関東布教。特に井上氏(西念の父、井上光盛)の所領があった武蔵国足立郡野田(現:埼玉県さいたま市上野田)に一堂を建てて布教の拠点とする。
嘉禄 元/1225
西念、後の西敬寺御本尊となる「三方正面阿弥陀如来御絵像」を親鸞聖人より下付される。

西念に下付されし御絵像は、孫の道栄に譲られ、西敬寺に伝えられる。
尚、現在は、西敬寺の御内仏に御安置。
嘉禎 元/1235
親鸞聖人、帰洛。
西念は帰洛に際してお供をし、数年ごとに上洛して聖人にお給仕したと伝えられる。
文応 元/1260
親鸞聖人、八十八歳。
西念、最期の面授との覚悟し上洛し、聖人より六字名号を賜る。(親鸞聖人数え八十八歳による御真筆ということから八十八=米寿にかけて「米の名号」として長命寺の寺宝とされている。)

「米の名号」(長命寺蔵)
弘長 2/1262
親鸞聖人ご往生
正応 元/1288
本願寺三世覚如上人(親鸞聖人の曽孫)、関東巡廻。
西念は百七歳の長命を保っており、親鸞聖人口授相伝の「安心起行」をいささかも滞ることなく演説したことを覚如上人が大変お喜びになり「命齢の長たる徳」として「長命寺」の寺号を賜ったと伝えられる。
正応 2/1289
西念、下総国葛飾郡二郷半領木賣村(現:埼玉県吉川市木売)西光院に隠居。
後に長命寺二世浄空の三男で西念の孫である西敬寺開基、西敬坊道栄は、西光院三世西順の舎弟となり、長命寺と西光院を往来し一円の教化に努める。
建武 2/1335
南北朝の争乱の中、野田長命寺が破却され、長命寺三世西祐は、開基西念の故郷、信濃国駒沢(現:長野県長野市上駒沢)に寺基を移転。
各種資料を整合すると、西念に連なる一族は大きく二班に分かれ、関東に残留する班と信濃へと移動する班に分かれ、この時、親鸞聖人寿像と西念像を地中に埋めて隠したとされる。
西敬寺開基道栄は、実兄の西祐共に信濃に移り、親鸞聖人御真筆の三方正面阿弥陀如来御絵像を譲り受け、長命寺を輔け塔頭として新たな布教活動を始める。
永和 2/1376
開基 道栄 往生
元中 9/1392(明徳 3)
南北朝合一。
この頃、長命寺四世了順と西敬寺二世道音は、親鸞聖人寿 像と西念像をお迎えすべく、埋め隠したとされる西光院を訪ねるが、すでに在郷の人々によって、地面がむくむくすることから掘り起こされ、いつの間にか「おむくさま」と呼ばれ親しまれていたが、二人は懸命に経緯を説明し、返却を求め結果的に西念像を返してもらい、帰国して長命寺に安置する。

長命寺に安置される「西念像」
永享 6/1434
二世 道音 往生
寛正 3/1462
 
8月2日 本願寺八世 蓮如上人より寺号「西敬寺」御免。
長享 2/1488
 
三世 道憐 往生
永正16/1519
 
長命寺と共に信濃国柳原庄布野村(現:長野県長野市柳原)に移転。
天文17/1548
 
四世 学道 往生
文禄 2/1593
 
五世 運道 往生
慶長18/1613
 
六世 道林 往生
寛永 元/1624
 
七世 隆誓 往生
正保 4/1647
 
九世 誓宗 往生
延宝 6/1678
 
八世 超宗 往生
元禄13/1700
 
長命寺と共に信濃国水内郡福田村(現:長野県長野市南堀)に移転。
元禄15/1702
 
十世 哲宗 往生
正徳 2/1712
 
御本尊(方便法身尊像)本願寺より下付される。
寛保 2/1742
 
十一世 惠宗 往生
宝暦13/1763
 
旧本堂(横6間 縦5間半 四面)落慶*以後、255年間に渡り念仏道場として教化活動の拠点となる。
安永 8/1779
 
十二世 惠閑 往生
文化 4/1804
 
十四世 慈辯 往生
文化14/1817
 
本堂造営・改修(巻障子・欄間新設)本山より御絵伝四幅を下付される。
天保12/1841
 
十三世 最勝(本山表ノ願名 辯道) 往生
弘化 4/1847
 
善光寺地震発生*庫裏半壊、四人の寺族が犠牲となる。
慶応 元/1865
 
十五世 弘道 往生
明治 6/1873
 
十七世 慈門 往生
明治20/1887
 
十六世 峯榮 往生
明治44/1911
 
親鸞聖人六百五十回大遠忌法要厳修
大正 8/1919
 
十八世 實門 往生
昭和12/1937
 
十九世 徹門(本山表ノ願名 勝惠)往生
昭和42/1967
 
本堂屋根改修工事
昭和57/1982
 
庫裏改築落慶法要厳修
平成 3/1991
 
二十一世 慈孝 往生*上宮山 西榮寺 三世 富野 宣明 師 代務住職就任
平成 5/1993
 
二十世 慈音 往生
平成 8/1996
 
二十二世 慈教 住職拝命
平成 9/1997
 
蓮如上人五百回大遠忌法要・二十二住職継職奉告法要厳修
平成14/2002
 
慈教 本願寺派宗学院卒業 (第150号)
平成17/2005
 
慈教 本願寺派布教使拝命
平成24/2014
 
慈教結婚(現:坊守 真由美 入寺)

平成30/2018
 
新本堂竣工

令和元年/2019 10.20
 
開基684年・寺号公称557年・寺基移転319年 新本堂落慶慶讃奉告法要厳修