浄土真宗の宗祖親鸞聖人が、
「聞思して遅慮することなかれ」
とのお言葉を遺されています。
「聞思」とは、人生のよりどころを明らかにする確かな言葉を聞くことを通して自ら問いを持ち、自らが考えることの大切さを示すものです。
どれほど大切な言葉を聞いたとしても、ただ聞くだけに終わってしまうならば、それは私が生きることにとって、それほど意味を持たないものとなってしまいます。聞いたことを自分に引き当ててよく吟味し、自らの問題として考えることによって、はじめて一つの言葉が私にとってかけがえのない言葉となり、生きる原動力となっていきます。
私たちの周りには多くの情報や言葉があふれています。しかしそれに振り回されて、本当に確かなものが何かわからなくなってしまうこともしばしばです。
そんな中で誰もがとまどい、生きる方向を見失い身動きが取れなくなっていってしまう、そのことを親鸞聖人は「遅慮」という言葉で表現されています。
皆様と共に、自らが生きるよりどころを明らかにする確かな言葉を「聞思」して参りたいと思います。